川越の歴史や神話を感じる観光は如何でしょうか?

おはよーございます!こんにちは!こんばんは!

ブログ係Dでございます!

皆さんは川越を知っていますか?

テレビなんかでも何度も取り上げられたりしているので、

今はもう有名みたいですね。

実は川越は私の地元でして、

今回は観光雑誌やサイトに載っていない川越の魅力を紹介できればと思っています。

蔵造りの町並み

恐らくほとんどの観光サイトでは川越に行ったらまず行くべきと書いてあるでしょう。

景観は古き良き日本を感じさせますし、

観光客向けのお店も軒を連ねています。

ここには菓子屋横町や時の鐘もあるので、川越民のオススメできる

ナンバー1観光スポットといえるでしょう。

しかし、今回のテーマは川越の神話と歴史です。

注目すべきはお店の多さや景観ではなく、その成り立ちです。

そもそも何故、蔵造りの町並みが出来たのか。

その理由は江戸時代にまで遡ります。

当時の川越は城下町として栄えており、

それなりに繁栄していました。

しかし、大火事に見舞われて城も本丸を残して全焼。

町も火の海になってしまいました。

蛇神の祟りとも云われている川越大火です。

ここまでの被害になったのは家同士の間隔が狭かったことと、

当時の建築に使われていた建材が燃えやすい木材だったことが原因でした。

そこで、町を復興する際は蔵のように建材に土を混ぜることで、

仮に火事が起きても全焼は免れるようにしました。

これが川越に蔵造りの町並みがある理由です。

かねてより蛇神信仰のあった川越では、この大火事をきっかけに神社からあるものがなくなりました。

川越大師 喜多院

かつて、この喜多院の和尚様は他の坊主に内緒で蛇を飼っていました。

和尚は夜な夜な坊主達の目を盗んで、蛇に会いに行っていました。

この蛇は十数メートルある大蛇だったとも、美しい女の姿をしていたとも云われています。

和尚は蛇を呼ぶときに必ず鈴を鳴らしました。

そこで現れた蛇に餌をやっていたと云います。

そしてある日、和尚はいつものように鈴を鳴らし、

蛇にまた明日とお別れをしました。

その次の日から和尚は病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました。

蛇は鈴が鳴るのを何年も何年も待ち続けました。

それから何年も経ったのち、喜多院を鈴売りが通りかかりました。

鈴の音を聴いた蛇はやっと和尚に会えると喜んで出てきましたが、

そこにいたのは見たこともない鈴売り。

和尚に会えなかった悲しみと怒りで蛇は川越を火の海にして消えました。

これが川越大火にまつわる伝説です。

そのことをきっかけに今でも喜多院をはじめ、川越にあるいくつかの神社は鈴の持ち込みを禁止し、

鈴の代わりに銅鑼を設置したのでした。

川越観光をする際はそんな神話や歴史を感じる旅にしてみてもいいかもしれませんね。

ではまた。。。